近代的な「こころ」の考えは、17世紀の哲学者に始まり、その後、精神異常や感覚の経験的研究が蓄積されていきます。現在の「心理学」が誕生したのは、19世紀後半であり、まだ歴史が浅い学問です。
ここでは、心理学の歴史の概要を下記のように分けて記載します。
イギリス経験論哲学のLocke,J(ロック)は、生得的な観念や傾向を否定し、生まれながらの人の心は白紙「タブラ・ラサ」であるとする経験説の立場を取り、全ての観念は外界に関する感覚と内界に関する反省から生じると考えました。
この考えには、感覚や観念の連合によってより複雑な観念が形成されるとする「連合主義心理学」の萌芽が見られ、それは、連合(経験)を類似、時間的・空間的接近、原因と結果で説明する形で引き継がれていきました。
パーソナリティ(人格)の観点では、骨相学が発明され、人の頭の形や、顔の特徴の違いは、その人の知能や人格などを決定すると考えられていました。また今でもある観相学は性格学とも呼ばれ、顔の特徴によって、その人の性格、知性、および能力を評価しようとするものでした。
心理療法の起源としては、Mesmer(メスメル)[1734-1815]の催眠術が挙げられます。メスメルは催眠術によって身体的、心的病気の治療を行いました。
19世紀に入ると、自然科学発展の中の一つの流れとして色の3色説のYoung,T(ヤング)やMuller,J(ミュラー)、Helmholtz,H.L.(ホルムヘルツ)らにより「感覚生理学」が発展してきました。
Feshner,G.T. (フェヒナー)[1801-1889]は、物理的世界と心理的世界の間の関係は測定することが可能であると考えました。フェヒナーは知覚の弁別閾や刺激を確定するための幾つかの精神物理学的測定法を開発し、「精神物理学」が台頭してきました。
Wundt,W(ヴント)[1832-1920]は、1879年にライプチヒ大学に初めての心理学研究室を創設し、構成主義心理学といわれる「実験心理学」を展開しこれが、心理学の起源とされています。
ヴントは、意識は人の経験を通して形作られるものであり、経験は「感覚、連合(学習)、感情」の組みあわせであると考え、それらの「心的要素」がどのように組み合わさって結合しているのかを、内観(自己観察で捉えようとする)によって研究しました。
ヴントの意識についての研究は、構成主義と機能主義に分割されていき、それらはその後の行動主義の発展を導くものとなりました。
構成主義心理学の中心人物はTitchener,E.B. (ティチェナー)[1867-1927]であり、人の意識経験を基本的な構成要素として、「感覚、イメージ(思考の基本要素)、感情状態(快・不快)」からなると結論づけています。
構成主義が「心とは何か」を理解するものである一方、機能主義心理学は、「心は何のためにあるのか」を理解するものでした。
ダーヴィンの進化論と強いつながりを持っており、人の意識的経験が、人の環境への適応にどのように働き、環境内での人の繁栄へどう繋がるのかを理解することを目指していました。
機能主義者と言われる代表人物は、James, W.(ジェームズ)[1842-1910]ですが、彼は心的現象とは、環境へ適応し生存するための機能(課題への適応、学習、問題解決)であり、習慣もまたその関連機能だと考えました。
Watson,J.B(ワトソン)[1878-1958]は、ヴントの意識を自己観察で捉えるという実験心理学の非科学性を非難して、心理学が科学であるためには、客観的に観測可能な行動のみを心理学の対象とすべきであるとする行動主義を提唱しました。
これは、刺激(S)と反応(R)で全てを説明しようとするところからS-R心理学とも呼ばれます。
行動主義は、新行動主義といわれる下記のいくつかの流れに分岐していきます。
Skinner,B.F(スキナー)[1904-1990]は、行動分析の創始者で、オペラント行動の研究から、行動主義をさらに徹底した徹底的行動主義を主張しました。
それとは逆に、Tolman,E.C(トールマン)は、学習はサイン=ゲシュタルトの成立であるとし、認知過程に媒介変数(仲介変数)の概念を導入しました(S-O-R理論)。
Hull,C.L(ハル)は、S-R理論を基本として概念の獲得を研究し、媒介変数(仲介変数)について認知論と対立しました。
新行動主義には含まれませんが、その後、Bandura,A.(バンデューラ)は、他者の行動の結果をモデルとして観察することで成立する学習(観察学習/モデリング)を理論化し、社会的学習理論を提唱しました。
Freud,S(フロイト)[1856-1939]はヴントの構成主義が意識のみを対象としているのに対して、無意識の精神活動の重要性を唱え、精神分析(phychoanalysis)を作り上げました。
フロイトは、Mesmer(メスメル)の流れをくむ、催眠によって意識の乖離について研究をしていたCharcot(シャルコー)の元で学びます。そこでは、催眠法によるヒステリー症状の治療法を学び、そこから自由連想法を開発し、精神分析へと至りました。
精神分析は今日の臨床心理学の最も重要な背景であり、その内容は多方面に拡散しています。
臨床心理学の歴史は、ライプチヒ大学のヴントの下で学んだWitmer,L(ウィットマー)が1986年にペンシルバニア大学に心理クリニックを開いたことが始まりとされています。
ゲシュタルト心理学(gestalt phychology) は、知覚は単に対象となる物事に由来する個別的な感覚刺激によって形成されるのではなく、それら個別的な刺激には還元出来ない全体的な枠組みによって大きく規定される、というものです。「全体は、個別の総和以上である」という言葉で称されます。
ゲシュタルト心理学は、行動主義、精神分析と並んで、20世紀前半の心理学の3大潮流のひとつとされます。また、集団力学の契機となったとされています。
Wertheimer,M.(ヴェルトハイマー)[1880-1943]は、人間が図を知覚するときのプレグナンツの法則や、仮現運動の研究などによりゲシュタルト心理学の基礎を築きました。
洞察学習のKohler(ケーラー)や、場の理論のLewin (レビン)もゲシュタルト心理学の主要な人物です。
認知心理学とは、生体を情報処理システムとみなし、情報処理の観点から生体の認知活動、心的過程を研究するものです。心的過程は情報処理過程であるという考え方に基づきます。
ゲシュタルト心理学や、ピアジェなどの認知論、新行動主義のハルやトールマンのS-O-R理論が、認知心理学へと発展しました。
認知心理学は、20世紀後半以降、現代心理学の主流にあるとされます。
認知心理学の名づけ親とされるU. Neisser(ナイサー)は多数の業績がありますが、自己知識の概念も研究しています。
関連用語#1: ▼ アフォーダンス理論
関連用語#2: ▼ U. Neisserの自己知識
発達の研究としては、Piaget,J(ピアジェ)[1896-1980]が最も大きな影響を与えました。ピアジェは、遊ぶ子供を観察し、発言を記録し、認知機能の発達段階説を唱えました。
また、Binet,A.(ビネー)[1857-1911]は、精神発達遅延児のために知能テストを開発し、その後の個人検査の開発を促すものとなりました。
一方、Lorenz, K.Z.(ローレンツ)[1903-1989]によって推進された比較行動学は、動物に特有な生得的・本能的行動についての多くの知見をもたらし、人間の本能と心理の境界にとって貴重な示唆を与えました。
Maslow,A.H(マズロー)[1908-1970]は、当時の2大勢力(精神分析、行動主義)が、人間の心理学的成長の側面に注目していないとし、全体的な人間理解の必要性を主張しました。そして、人間は全能力を発展させようとする「自己実現」への欲求(自己実現化傾向)を生来持っていると考え、欲求階層説を提唱しました。
Maslow,A.Hの主張から、1960年代に生まれた人間性心理学は、精神分析と行動主義心理学に並ぶ、第3の勢力となり第3の心理学とも呼ばれます。
( 補足: ▼ 人間性心理学の基本的特徴 )
Rogers,C.R(ロジャース)は、実際的な治療場面の経験から実験心理学や精神分析に疑問を持ち、当時優勢であった指示的なカウンセリングに対し、クライエントに指示を与えない非指示的療法を提唱しました。人間の自由意志や主体性を重視する彼の考えは、後に非指示が強調されすぎるのを嫌い、クライエント中心療法へと変化していきました。
ポジティブ心理学は、個人や組織・社会のウェルビーイング(Well-being:本来あるべき正しい方向に向かう状態)に注目し、ウェルビーイングを構成する諸要素について科学的に検証・実証を試みる心理学の一領域であるされます。
Seligman,M.E.P. (セリグマン)が発起人であり,ポジティブ心理学の父と呼ばれます。
Seligmanは、ウェルビーイングを構成する多面的なモデルである「PERMAモデル」を提唱しました。
( 補足: ▼ PERMAモデル )